ⅷ 雲の向こうに、光を見た日 ~Instrument Flight Test~
雨は朝から降っていた。
それはしとしとというより、叩きつけるような、冷たく鋭い雨だった。
空は鉛のように重く、基地の滑走路も、コクピットの窓も、まるで世界がモノクロに染まったかのような錯覚に包まれていた。
その日の朝、ぼくは早くに目が覚めた。
眠れなかったわけではない。ただ、眠っている場合ではなかった。
今日は“あの試験”だった。
Multi-Engine Instrument Rating Flight Test。
パイロットとして、避けては通れない、二番目の関門。
そして、今回は…試験官が、“あの”ピート・ディクソン。
その名を聞くだけで、訓練生たちは固唾を飲む。
完璧主義、妥協なし、無表情。
「ピートに当たったら祈るしかない」と言われるほど、彼の試験は容赦がなかった。
❄️ 試験前の沈黙
基地に到着した時、外はまだ薄暗かった。
天候確認、NOTAM、飛行計画、そして機体点検――手は確かに動いているのに、どこか意識は遠く、宙に浮いていた。
リー・ロビンソン教官が近づいてきて、軽く肩を叩いた。
「大丈夫、お前ならできるさ。」
彼の言葉は温かかった。けれど、その時の自分には、心に届く余裕がなかった。
まるで壊れた無線機のように、音だけが聞こえ、意味が届かなかった。
💬 地獄の口頭試験
そして、その“男”が現れた。
ピート・ディクソンは、無言で書類を手に、こちらを見た。
視線は冷たく、まるで人間ではない別の生き物のように感じられた。
「このVORアプローチのMDAは?」
「片エンジン時のステップは?」
冷たい声が、頭の中を鋭く貫いてくる。
声は出しているはずなのに、どこか遠くで誰かが喋っているような感覚だった。
ぼくは、あのとき、自分の心が半分崩れていくのを感じていた。
ⅷ-2 雨と雲の向こうへ
口頭試験が終わった頃、心のスタミナはすでに底をついていた。
それでも、試験はここからが本番だった。Flight Test――空での戦いが、始まる。
✈️ 出発:グレーの世界へ
機体はP-68 パートネイビア
エンジンが始動する直前の静寂は、まるで世界が一度停止したかのようだった。
雨音だけが、リズムもなくコクピットに響く。
そして離陸。
滑走路の先に広がるのは、灰色一色の空。
IMC(Instrument Meteorological Conditions)――視界ゼロ、ただ“数字”と“針”だけがすべて。
ここでは、感情も、感覚も、通用しない。
計器が示すものだけが、真実だった。
🔁 HOLD:アシュバートンの闇
「Proceed to holding.」
ピートの無機質な声が機内に落ちる。
それはまるで、判決を言い渡す裁判官のようだった。
ホールディング。
エントリー角、旋回タイミング、風補正。
すべてが完璧でなければならない。
でも、雲の中で、何かが少しずつずれていく感覚があった。
自分の位置が、わからなくなっていく。
混乱。焦り。時計を見る暇すらなかった。
(これは…まずい)
ミスが、確実にあった。手応えがなかった。
でも、戻ることはできない。試験は、容赦なく次へ進む。
⚙️ アプローチ:片エンジンの現実
「Next, NDB approach.」
ピートが静かに言った。
来た。試験の“核心”。
さらに追い打ちのように――
「You have an engine failure.」
左エンジンのスロットルを絞り、フェザー。
急激に傾く機体。補正、ピッチ、エアスピード…
一つでも間違えれば、試験は即終了。
頭の中で、すべての手順を叫びながら、
体は訓練の記憶に任せて動いていた。
「Maintain 90 knots… Good.」
その一言に、ほんの少しだけ、世界の温度が上がった気がした。
🌧️ FINAL:ILSアプローチ、そして…
クライストチャーチへの最終アプローチ。
ILSのローカライザー、グライドスロープ…
外は、いまだに完全な視界ゼロ。
「Minimums… Continue.」
ピートの声が落ちた。
(…見えてくれ。お願いだから、出てきてくれ…)
そう祈るように、前を睨む。
その時――
雨のヴェールが裂け、アプローチライトが、光った。
あの一瞬の安堵は、言葉にならなかった。
🛬 着陸、そして…
ランディング。
ブレーキ。
タクシー。
そして、機体を止める。
ヘッドセットを外した時、ぼくは全身の力が抜けていた。
汗が、静かに額から落ちた。
ピートが、こちらを見た。
表情は変わらない。
そして、一言。
「Do again.」
それだけだった。
でも、その意味は痛いほど、分かっていた。
それが、ぼくの“初めての挫折”だった。
エピローグ
こうして、第二の難所――双発計器飛行試験は、
再試験となりました。
この日、空はグレーだったけれど、
自分の中では、間違いなく真っ黒でした。😢
今日はここまでにします。
エアラインパイロットの憧れ… ホンマになれるの😿
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